日中友好新聞
2010年1月5日号1面
蒼国来さん初場所の土俵へ夢をのせて
中国内モンゴル出身初の十両が誕生く
大相撲の世界に飛び込んだ力士たちが抱く夢は「横綱」。そして、誰もがまず目標にするのが十両への昇進、一人前の力士である「関取」になることです。2010年の幕開けを飾る大相撲初場所で、新十両として土俵に上がる中国出身の力士がいます。しこ名は「蒼国来」(そうこくらい、25歳)。中国人力士の十両昇進は1974年7月場所の清乃華以来36年ぶり、内モンゴル出身者では史上初の快挙です。
初場所への意気込みや、日本相撲の難しさ、夢、日中友好への思いなどを聞きました。(編集部)
蒼国来栄吉(そうこくらい・えいきち)
1984年1月9日生まれ。内モンゴル自治区赤峰市バイリン右旗出身。モンゴル族。通算成績は148勝105敗6休(38場所)。身長186センチ、体重130キロ。写真は、09年11月場所7日目(提供:日本相撲協会)
荒汐部屋から初の関取誕生
初土俵から7年、東幕下筆頭で迎えた11月場所。初日から無傷の4連勝で決めた勝ち越し。中国内モンゴル自治区から初の関取を確実とした瞬間でした。
日本相撲協会から十両昇進の知らせが届いた時、おかみさんは喜びを言葉にすることができず、「おめでとう」の言葉をかけてくれた荒汐(あらしお)親方とは、来日した成田空港の時以来6年ぶりの握手。喜びをかみしめました。
部屋創立8年目の荒汐部屋にとっても初の関取誕生。「けがもあり、ここまでくるのに長い時間がかかりました。ほんとうに嬉しかった」との言葉には、蒼国来さんはもちろん、親方とおかみさんが重ねてきた苦労を乗り越えての喜びが重なりあっています。
親方との出会い
7歳からモンゴル相撲を始め、16歳で全国優勝。レスリングでは中国ランク8位という輝かしい経歴をもつ蒼国来さんが、力士をスカウトするために訪中した親方と出会ったのは03年4月、内モンゴルのフフホトでした。日本の相撲は写真で知っている程度。
ものにならなかったらいつでも帰ればいいという軽い気持ちと、「朝青龍関のような力士が内モンゴルにはいない。ならば自分がなろう」との決意をもって、帰国前日の親方を訪ね「日本へ行きたい」と打ち明けました。
翌日、親方から入門の許可がおり、2カ月後の6月28日に来日。厳しい相撲の日々が始まります。
稽古、稽古の日々
入門当時、荒汐部屋には1つ年上の先輩力士がいるだけ。その先輩もいなくなり、部屋の存続が危ぶまれた時期もあっただけに、関取を誕生させるまでの親方とおかみさんの努力には並々ならぬものがありました。
現在11人の力士と1人の行司を擁する荒汐部屋は、東京・中央区唯一の相撲部屋として、お祭りや子どもたちとの交流など市民活動にも積極的に参加し、地元の人びとに愛される存在へと発展しています。
稽古は朝7時ごろから10時ごろまでの3時間。蒼国来さんは、相撲の基本である四股(しこ)、腰割り、股割り、てっぽうなどを黙々とこなし、上位力士のいる他の部屋への出稽古にも積極的に出かけ、ひたすら稽古を重ねる日々。
「ぶつかり稽古が一番きつい。日本の相撲独特の立ち合いにも戸惑いました。親方は『前へ、前へ』とアドバイスしてくれますが、モンゴル相撲には立ち合いがない。投げれば勝負が決まる。立ち合いが最大の課題です」
しこ名「蒼国来」とは?
インタビューに答える蒼国来さん
(荒汐部屋にて)
来日直後は日本食に馴染めず、ご飯にヨーグルトをかけて食べていたことも。「レスリング選手だったころは減量が当たり前。痩せることに慣れていた体を、今度は太らせないといけない。日本食が合わず苦労しました」。今ではこんにゃく以外なら何でも食べられるように。その甲斐あって入門時88キロだった体重は130キロまで増え、立ち合いの強さにつながっています。
「蒼国来」のしこ名は、親方が2カ月をかけ、悩み抜いた末に決めてくれました。「一部のマスコミはその由来を『蒼い国から来た』と報道していますが、ちょっと違うんです。親方は『雄大な内モンゴル草原の抜けるような蒼い空と中国の国』をイメージして名づけてくれたんです」。
日本語は「ひらがな」を覚えてきた程度でまったく話せなかったところからスタート。小学校1年生の国語の教科書などを使い、おかみさんと2人で勉強しながらマスターしました。
ほかの日本人力士たちと分け隔てなく接し、親方と一緒にあいさつの基本から礼儀作法まで教え育ててくれたおかみさんのことは「なくてはならない存在」と、心からの感謝を込めて語ります。
初場所への意気込み
尊敬する人は親方。理想の力士像は、相撲取りとしては決して大きくない身体ながら、ずばぬけたセンスと強靱な足腰からくるねばり強さで、栃錦とともに栃若時代を築いた名横綱の初代若乃花。また、現役力士のなかでは、同世代の鶴竜関(モンゴル・ウランバートル出身、井筒部屋)の取組をお手本としています。
東京・両国国技館の初場所初日は1月10日。「今の相撲ではだめ。立ち合いがだめ。体重をあと10キロから15キロ増やさないと…」と課題は尽きません。
「まわしを取って、頭をつけて、ねばる相撲をとりたい」と初場所への意気込みを語る蒼国来さん。中国人初の幕内昇進をめざす取組が楽しみです。
日中友好の架け橋として
蒼国来さんの本名は「恩和□布新(エン・クー・ト・フ・シン)」(□は「くにがまえ」に「冬」)。母方の祖父によって名づけられました。モンゴル語の「エン・クー」は日本語の「一生、いつも」、「ト・フ・シン」は「平和」を意味し、「一生平和でいて欲しい」との両親や祖父母の思いが名前に込められています。
「角界で活躍しているモンゴル人力士は多いですが、内モンゴルの存在を日本の皆さんにぜひ知って欲しい。日中友好で自分がお役にたつなら、なんでもします」
土俵での活躍とともに、平和への思いを胸に日中友好の架け橋としての活躍に期待が高まります。(矢崎・押見)
荒汐部屋
親方は元小結の大豊。1992年6月に時津風部屋から独立し、荒汐として59年ぶりに部屋を復活させた。おかみさんは鈴木ゆかさん。現在、おかみ業の傍ら、東京都中央区教育委員会の委員長としても活躍中。おかみさんが手がけるホームページは部屋のあたたかい雰囲気や力士たちの素顔などを伝え、このホームページを通して入門する力士も多い。
荒汐部屋ホームページ |