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日中友好新聞

2007年7月5日号1面

過去を想起し未来を推しはかる
逆立ちした被害者意識 井上久士

 今年は盧溝橋事件、南京大虐殺事件70周年、平頂山事件75周年の節目の年です。日本は過去(歴史)から何を学び、その教訓をどう生かさなければならないか。協会参与で駿河台大学教授の井上久士さんに、過去の戦争犯罪における日本人の被害意識について執筆してもらいました。(編集部)

写真

北京郊外の盧溝橋

 日中全面戦争へと発展した盧溝橋事件

 5年とか10年とか、5の倍数や10の倍数で歴史を区切ることがどれほど意味があるものか疑問であるが、われわれ人間はそうした節目に過去を想起し、また未来を推しはかる習性をもっているようである。
 今年は1937年から70年目。その年の7月7日夜に発生した盧溝橋事件は、8年におよぶ日中全面戦争のきっかけとなった。8月13日には第二次上海事変が始まり、華北の戦火は華中に広がった。12月13日、首都南京は日本軍に占領され、その前後南京の惨劇が引き起こされた。
 この5年前の1932年には、1月28日に第一次上海事変が起き、3月1日に「満洲国」の建国が宣言された。9月15日、日満議定書が調印されて、日本は「満洲国」を正式に承認した。この日撫順炭鉱を抗日武装勢力が襲撃したことのへの報復として、翌日平頂山集落の住民約3000人を日本軍が虐殺した。

 歪んだ正当防衛論

 戦争が終結してから62年が経過し、日本も中国も大きく変わった。しかし、目を凝(こ)らすと21世紀の日本で、満州事変や日中戦争の時代を思い起こさせるような社会現象が形を変えて亡霊のごとく浮かび上がってくるように思われる。
 たとえば日本人の被害者意識。当時日本では「満(まん)蒙(もう)権益の擁護」とか「暴(ぼう)戻(れい)支那の膺(よう)懲(ちょう)」などという言い方がさかんに使われた。
 これは日本の正当な権益や主張が、不当にも中国の反日政策、反日運動によって脅かされようとしているからそれらを守らなければならない、乱暴な中国を懲らしめなければならないというものであった。日本は反日中国の被害者というわけである。

 日本は中国の内政干渉の被害者?

 今日、過去の日本の戦争犯罪をきちんと認めようとする動きを、「卑屈な謝罪」とか「土下座外交」などと非難する日本人がいる。
 加害行為を反省し謝罪することは当然なことであるのに、それを中国の不当な要求であるかのようにみなすのである。首相の靖国神社参拝を批判する中国は、日本に対し内政干渉を行なっているという言い方もそうだ。
 こうした論者によれば、日本は中国の内政干渉の被害者なのだ。

 今年を真の友好関係築く年に

 被害者意識で民族感情を煽(あお)るという方法は、たしかに国民に受け入れられやすい面がある。
 しかし、こうした被害者意識は、自己の正当化と相手への不信を増大させるだけであり、共感や信頼は決して生みださないのである。
 まして「満蒙権益」などは中国の主権を侵害する帝国主義的権益であったのだから、日本が被害者だというのは、実は不法侵入者がその家の人に殴られたから、自分は被害者であると言っているようなものだ。よく考えればまさに強盗の論理なのである。
 そのような逆立ちした被害者意識ではなく、率直に言いたいことを言いあい、相手を理解し、未来に向けて協力する、今年をそのような前向きの日中関係を築いていくための年にしたいものである。
(駿河台大学教授)



盧溝橋事件とは

 1937年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋付近で起きたこの武力衝突事件について、日本の一部の人びとは、「先に発砲したのは中国軍」、「中国側の挑発」などとして、日本軍の行動を正当化する論調を振りまいています。
 靖国神社「遊就館」の展示もこうした宣伝で、中国侵略戦争美化に努めています。
 しかし、日本政府の対中政策の歴史全体からこの日の事件を切り離し、「どっちが先に発砲?」など、個別の問題だけで正邪の責任を論ずるのは、あまりにも皮相な見方です。
 先ず、直視すべきことは、主権国家・中国の中心都市北京のひざもとに、当時すでに日本の軍隊が駐留していたという事実です。
 これは、1889〜1901年の義和団事件(諸外国の中国侵略に反対した民衆運動)を口実に中国へ干渉出兵した日本を含む列強諸国が、当時の清朝との議定書で獲得した駐兵権にもとづくもの。
 日本は1937年当時、約7000人という大軍を華北一帯に派遣し、そのうち1個大隊ずつを北京市内と盧溝橋付近の豊台に駐留させていました。この部隊が挑発的な夜間演習を行い、7・7事件を引き起こしたのです。
 日本軍は、1931年の柳条湖事件(満州事変)によって、1932年「満州国」を建国。これを足がかりに熱河省の占領(1933年)など、華北地域への軍事侵攻・支配を図った流れのなかで盧溝橋事件が発生、これを機に侵略戦争を華北からさらに中国全土へ拡大した歴史の傷跡を、事件70周年に際して改めて見つめる必要があります。(J)


「7・7」盧溝橋事件記念日
「不再戦・平和友好期間」始まる

 7月7日は、日本が悲惨な侵略戦争を中国全土に広げた盧溝橋事件の記念日にあたります。
 今から70年前の1937(昭和12)年のこの日、北京郊外の盧溝橋付近で起きた中国軍との武力衝突を機に、旧日本軍は中国全土へ侵略を拡大しました。
 日中友好協会では、二度と悲惨な侵略戦争を繰り返さないという立場から、今年も「盧溝橋事件」の7月7日から「柳条湖事件」の9月18日までを「不再戦・平和友好期間」として、学習や、集会、「平和のための戦争展」など、全国で反戦・平和活動を重点的に行います。


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