日中友好協会(日本中国友好協会)

日本中国友好協会
〒101-0065
東京都千代田区西神田2-4-1 東方学会ビル3F
Tel:03(3234)4700
Fax:03(3234)4703
HOME > 日中友好新聞 > 2007年4月5日号

日中友好新聞

2007年4月5日号1面

巨匠・小澤征爾さんと中国音楽家の卵たち
姜 波 (川崎医療福祉大学教授)

 世界的な指揮者で知られる小澤征爾さんは、自ら設立した「小澤征爾音楽塾」で多国籍の若手音楽家を育成する一方、生まれ故郷の中国を何度も訪れ、中国の若手の指導にあたっています。
 小澤さんと中国の音楽家との交流について、川崎医療福祉大学教授の姜波さんに紹介してもらいます。

 「小澤征爾音楽塾」 の成果

 小澤征爾さんの主宰する「小澤征爾音楽塾」は05年、上海と北京でオペラ「セビリャの理髪師」を公演した。小澤さんは「巨匠」として、中国のメディアで脚光を浴びている。
 年に1回オペラ公演をする計画で「音学塾」は2000年に発足した。オーケストラと合唱団は日本およびアジアで活躍する若手音楽家や学生を中心に構成されている。
 音楽塾の主旨について「オペラと交響曲は二つの車輪のようなものだ。私は今まで交響曲をやってきたが、これからはオペラにも力を入れたい」と小澤さんは記者に語ったことがある。
 上海の舞台では小澤さんが自らタクトを振り、日本人バリトン歌手寺田功治など多国籍の若手音楽家が最高の音楽と華々しい舞台を創り出した。中国の観客は至福のひとときを過ごしたという。

 1カ月で演奏が飛躍的に向上

 天津と上海での公演には特別な意味があった。数人のオペラ歌手を除いて、小澤さんが日中両国の音楽学生に素晴らしい鍛錬の機会を与えたことは特筆に価する。
 前半は小澤さんの女性弟子陳琳(ハルビン出身)が指揮した「セビリャの理髪師」(抜粋)だが、後半のベートーベン交響曲第7番は小澤さんが自らタクトを振った。オーケストラは上海音楽学院と中央音楽学院の学生28人と日本人学生30人から構成され、合唱団は16人の中国人学生が務めた。オペラ歌手として岡本泰寛、高田智宏、加地早苗などが出演した。
 この公演を聴いた友人胡さんによると、オペラの公演自体は観客にとって決して満足のいくものではなかったが、学生たちにはこのような鍛錬の機会が不可欠で、若手演奏家を養成しようとする小澤さんの強い意欲と心遣いに感激したという。
 後半に小澤さんが指揮をとると広い劇場の雰囲気はがらりと変わった。演奏者たちは士気を鼓舞され、観客の期待も高揚した。小澤さんのタクトは大きな磁石のように演奏者と観客の緊張感を凝縮させた。指揮者が違うことでこんなに演奏効果が違うのかと友人は驚いたという。
 このような素晴らしい演奏は、小澤さんの巧みな指導があったからだろう。独奏の腕はあるものの、交響曲の演奏経験が不足している学生たちは譜面から目を離せない。
 小澤さんは「僕を見るのだ、ハンサムではないけれども」とユーモラスな言葉で学生たちの緊張を和らげたり、「ここはお酒を飲んだ大衆の乱舞場面を想像するのだよ」と説明して臨場感ある演奏を求めたりした。1カ月にわたるリハーサルを経て学生たちは飛躍的に上手になったという。

 並々ならぬ中国への思い

 中国公演の入場料は小澤さんの意見で、70元(1元は約16円)から300元に設定され、通常の入場料の10分の1程度に抑えられていた。市民に音楽を届けようとする小澤さんの気持ちが込められている。
 北京公演に向けた小澤さんの熱意は並々ならぬものだった。学生から奏者を自ら選ぶため、中央音楽学院の練習場でオーディションを行なった。早朝から北京音楽学院の管弦奏者20人の曲をひとりひとり聴いて、「大丈夫だよ」とカチカチに緊張した学生を励ましたりした。無我夢中で演奏した学生(柴亮さん)には拍手も送った。
 若者たちの真摯な演奏に心を動かされたのか、小澤さんは、居合わせた関係者や記者に「こんな年だけれども中国で音楽を教えたいのです」と言った。
 小澤さんの願いはかなえられた。05年9月、中央音楽院の創立55周年記念日に、多忙なスケジュールの合間を縫って小澤さんは記念行事に参加し、学長から指揮科目を担当する教授の辞令を渡された。
 小澤さんは20年前に中央音楽学院を訪れ、その後名誉教授として共演や特別講義などをして交流を重ねてきた。
 小澤さんの中国への思いは戦前にさかのぼる。小澤さんは1936年から41年までの6年間、北京で少年時代を送った。日中国交回復後、小澤さんは何回も北京にある旧居を訪れたという。
 小澤さんと中国との交流は今後一層深まり、多くの若手音楽家が成長していくことだろう。



小澤征爾 (おざわ・せいじ)

 1959年ブザンソン国際指揮者コンクール1位。1965年トロント交響楽団、1970年サンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任。1973年からは29年にわたりボストン交響楽団音楽監督を務める。ベルリン・フィル、ウィーン・フィルなどを定期的に指揮するとともにオペラ方面でもウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座などに出演。1992年よりサイトウ・キネン・フェスティバル松本総監督に就任。2000年より若い音楽家の教育を目的に小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトを開始。2002年秋よりウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任。



[一覧に戻る]