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日中友好新聞

2007年3月15日号1面

(南京大虐殺など、日本の中国侵略を明らかにした)
報道の役割が重要な時

〜本多勝一さん(元朝日新聞記者)に聞く〜

 今年は1937年の「南京大虐殺」から70年。元「朝日新聞」記者の本多勝一さんは、まだ日中国交が正常化していない1971年に訪中取材し、連載『中国の旅』(のちに単行本として刊行)で南京大虐殺をはじめ日本の侵略戦争の実態をいち早く紹介しました。現在の中国をめぐる言論とマスコミの問題について、本多さんにお話を聞きました。

 脅迫や反撃が相次ぐ

 本多さんは当時、日本で加害者としての戦争の記録がなされていないという問題意識から、「戦争中の中国における日本軍の行動を、中国側の視点から明らかにすること」(単行本『中国の旅』前書き)を目的に、まだ文化大革命の最中だった中国を訪れました。
  『中国の旅』は、虐殺、略奪、強姦、生体解剖や細菌実験、日本への強制連行など、目を覆いたくなるような生々しい残虐行為とともに、家族を奪われ、心の奥底まで傷を負った証言者たちの痛みや、平和への切実な願いを詳細かつ冷静な筆致で伝えています。
 このルポルタージュは大きな反響を呼び、読者の支持や激励を集める一方、電話、手紙などあらゆる手段の脅迫も相次ぎ、本多さんのルポを否定する出版物など、文化人などからの「反撃」も。
 「右翼の男が私の自宅や息子の小学校にまで来ましたよ」と、本多さんは当時の体験を振り返ります。

 政府が「侵略」を反省していない

 最も反論が集中したのが「南京」の章でした。「あまりにも攻撃が激しいので、ならばもっとやってやろう」と、1983年から3回にわたって南京を取材し、南京大虐殺を徹底的に追及しました。
 2003年には、南京侵攻のなかで2人の日本軍将校が中国人の斬殺を競い合った事件に関する記述を「うそを書かれ故人を思う気持ちを傷つけられた」として、将校の遺族らが朝日新聞社と本多さんらを訴え裁判を起こしました(「百人斬り訴訟」=注参照)。
 「こちらの出した事実に対して、向こうはそれを否定する事実を一つも示せなかった」
 第一審、第二審ともに原告請求棄却、最高裁も上告を棄却し、昨年12月に本多さん側の勝訴が確定しました。
 なぜこのような攻撃が続いたのか――「第二次世界大戦で侵略国だったドイツでは少なくとも、政府が記念館を建てるなどして反省をしている。今こんな訴訟を起こすようなことをやったら犯罪になりますよ。日本政府が今にいたるも侵略戦争に対する反省をきちんとしていないことが一番の問題です」と本多さんは語ります。

体制寄りのマスコミに問題が

 中国の発展を「脅威」だとして、中国への不信感、優越感などをあおる言論がさかんに行われ、現在の中国に関する情報は氾濫(はんらん)しています。
 「例えば靖国問題で中国人が怒るのは当然。侵略の犯罪者があそこにいるわけですから。ところが靖国参拝をする首相や石原慎太郎・東京都知事などのような人物が当選してしまう。国民が彼らを選ぶ状況をつくり出すマスコミの責任が最も大きい」と本多さんは厳しく指摘します。
 中国の戦争被害者や、ベトナム戦争、アイヌ民族、先住アメリカ人、第一次イラク戦争(1991年)などへの取材を通じて、常に社会的弱者に温かい視線を送ってきた本多さんは、「支配される側に立つ主観的事実をえぐり出すこと」(著書『事実とは何か』)がジャーナリスト本来の仕事であると考え、報道する者がどういう立場に立っているかを鋭く見すえています。
 「最近は体制側と同じ視点の報道ばかりで、政府や警察などの『広報』になりつつある。戦時中は軍部に検閲を受けていたから、マスコミがダメになったのは当然ですが、現在は検閲などないし、報道の役割がきわめて重要な時であるはずです」と言葉を強めます。
 現在は実地の取材にもとづいて社会問題に斬り込む雑誌『週刊金曜日』の編集に力を入れている本多さん。
 インタビューの最後に、「中国とは仲良くするのがお互いにとって得策です。彼らは人間同士の信頼関係を重視する。たとえ体制がどう変わっても、個人の友情はまったく変わらないところが好きですね」と語りました。
(Z)

本多勝一(ほんだ・かついち)

 『週刊金曜日』編集委員、元「朝日新聞」記者。
 1931年信州・伊那谷生まれ。ベトナム戦争、日本軍の中国侵略、カンボジア大虐殺、アイヌ民族、「極限の民族」シリーズなど多くのテーマを取材。著書に『中国の旅』『南京への道』『アメリカ合州国』『殺される側の論理』『戦場の村』(以上朝日文庫)など多数。



百人斬り訴訟

 旧日本軍将校2人が1937年に中国人を日本刀で殺す人数を競ったとする当時の新聞報道や、戦後にこの事実を扱った報道や出版について、両将校の遺族が「遺族及び死者に対する名誉毀損にあたる」として毎日新聞、朝日新聞、柏書房、本多勝一氏らを提訴。05年8月23日、東京地裁は事件当時の報道について「全くの虚偽であると認めることはできない」と認定し、原告の請求を全面棄却。東京高裁もこれを支持し、最高裁も06年12月22日、遺族側の上告を棄却した。



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